【有終の美】試し読み
有終の美

大きさ: 文庫版
価格: 500円
<あらすじ>
滅びゆく惑星で、少年エニーが出会ったのは――
優しく微笑むヒューマノイド、フィネル。
死の世界にぽつんと残された“最後の楽園”で、
二人が過ごす日々は、あたたかくて、どこか切ない。
優しさと終末が交差するSFドラマ
試し読みはこちら!
酷い嵐が少年の身を苛んでいた。
肉体に痛みが走るほど風は強く、ゴーグルが無ければ目を開けていることも難しい。少年の防護服が傷だらけなのは、この嵐が理由だ。乾いた暴風の中、少年は一歩、また一歩と、鈍足ともとれる足取りで歩いている。手袋をしているにもかかわらず指先は冷え、足元は土に汚れている。
重力か、大気か、地殻運動か……あるいは、それ以外の理由かもしれないが、惑星上には現在、いくつもの嵐が発生と消滅を繰り返している。雷や雨、霰なども散見される。
自転や公転の結果、惑星には大きな極寒の影と、照らされた焦土が同居している。
いつだったか、この惑星は滅んだらしい。
らしい、と言わざるを得ない。滅びは、完全に終わらないとわからないものだ。だが、少年はまだ終わっていない。まだ、生きている。
嵐は酷く、台風や、ハリケーンなどという言葉では到底、言い表せない。
少年の足取りは自然と重くなり、少年は細く小さな体を、風で飛ばされないよう必死に抵抗する。時おり休まる風の中、遮蔽物がほとんどない広野を歩き続けている。息が少しだけ乱れ、元に戻る。この場所は今、恒星の光が届かない。少年の体温は低く保たれ、エネルギーを消費しないように活動を続けていた。
惑星にほんの少し、ごく微量に生き残った人類のうちひとりが、その少年だ。滅びの中に孕んだ、ほんの少しの希望である。
防護服の左胸に、少年の名が書かれたプレートがある。掠れた文字で『エニー』と掘られているプレートは、細かい損傷があったが、少年の名を知らせるにはまだ役に立つようだ。
エニーには、使命があった。
この惑星を復活させる手がかりを探すこと。
命令した人物は自分の育ての親で、惑星の破滅に巻き込まれ、もうこの世界に存在していない。
それでも歩き続けているエニーは、一度も復活の兆しを手に入れることができていない。
だが、もはやエニーは命令と希望だけを道しるべに、活動を続けることだけが目的になっている。
最後に命令された言葉に従い、エニーは今も歩き続けている。
マスクの下で、エニーは荒い息づかいを整えるために、ひとつため息をついた。この数日間、前のポイントからもうどれくらい、こうして歩いているだろう。
特殊な訓練をいくつも耐え、生命としても改造されているエニーは、少ない食料と水分で生きていくことができる。数日間に一回、一口ずつの摂取でも十分に活動が可能だ。
だからこそ、エニーは止まることができなかった。
人類の痕跡を探し、見つけるたびに絶望しては、また歩き出す。何度もそうしてきたし、これからもそうするだろう。
痕跡には食料たりえるものが少しだけあったし、水分も捻出することができる。ならば、止まる必要もないだろう。
「ここもだめか」
エニーはひとりごちて、辺りを見回す。周囲には確実に人工物であろう建物がいくつかあったが、全て朽ち果て、穴や欠けが目立つ石の塊となっている。硬質なガラスでできていた部分もあったようだが、すでに粉々になって、割れた角すら丸みを帯びているほどだった。
もう一度辺りを見渡す。何度も保護材で補修したゴーグルが、エニーの視界をなんとか確保してくれた。そろそろ、再び保護材で補修しなければならない。備品に余裕があれば、の話だが。
生き物の気配はない。生き物だったものの気配もない。全て風化してしまっている。どうやら、エニーが歩き始めた場所よりも、この場所の方がより早く滅亡に巻き込まれたのだろう。
手に入るものは少ない。エニーはこの場所に希望を見出だせなかった。
「くそ……助けられなかった」
帽子に落ちた小石を払って、黒く短いざんばらの髪を絶望のままに掻き乱して、再びエニーは歩き出す。涙で、水分を浪費するべきではない。そう思って、何度目かになる感情を、心に圧し殺した。
ごお、と。風が一層、強く吹いた。エニーの足跡を消し去るように。
数日のうち、エニーはひとつの人工的な建物に辿り着いた。
「ここは……」
ドーム状の建物は、装飾のようなものがあちこちに施してあった。風化、損傷している箇所も少ない。華美とは言えないものの、まだ装飾がそれとして機能している。
こんな建物は、エニーが知る限り見たことが無かった。少なくとも、滅びの中で歩いている最中には。
ひとまず、周囲をぐるりと回ってみることにした。何かしら情報があるかもしれない。少なくとも、この建物が中に入ることを前提に作られたものであるなら、入り口はあるだろう。エニーは脆い、歩くたびに崩れていく石たちを踏み抜きながら歩く。ブーツに守られて直接触れることのない地面は、きっと冷たいことだろう。
冷たい地面の上に、植物片らしきものが凍りついているのが見てとれた。
――植物片?
エニーは、あまりに異質なそれに手を伸ばし、摘まみ上げる。緑色をしている。花が落ちたあとの萼片のようだ。凍っているため慎重に扱ったが、すぐに割れ、塵となってしまった。
この場所から出てきたものなのか、どうか。それはまだ判別できない。
どこからやってきたのか。この、有機物が育つことを拒んでいるこの惑星で。
すると。不意に風が弱まった。砂煙がふっと収まり、装飾を施された建物の大きさが明らかになった。
天井は、採光ができるように半透明になっている。装飾も、多少剥げてはいるものの、華美すぎないように、優しい模様を残している。
ほどなく、奇跡のように視界は澄み、照りつけるような光がエニーと建物を包んだ。
エニーの正面に、出入り口のようなものがあった。パスコードを認識するはずの端末についたモニターには、「open」「welcome」と交互に表示され、扉は簡単に開きそうだ。
「何かの、罠か。それとも生存者がいるのか」
罠だ、と、思った。これまでコロニー跡にあったパスワード付きのシェルターは、軒並み空になっているか、あるいは侵入者……この場合、惑星外生命体などを含むそれらを、迎撃するためにトラップが張ってあった。稀に動く何かがいるときもあったが、大抵、惑星外生命体や不定形生物などだった。
ドームの周りを、ぐるりと回ってみることにした。楕円状のドームになっている。天井は採光ができる窓がついている。また、この嵐に負けない強さを持つ塗料や彫刻などでドームの石壁が飾られている。ときおり、エニーの足元には植物片のようなもの、小さな毛玉、有機生命体だったであろう何かの死骸などが転がってきた。確認する間もなく、足元を転がり去っていく。
結局、エニーの足取りで二〇分ほどだろうか。あまり時間が経たないうちに、再びモニターの前に戻ってきた。
「植物、か」
エニーの脳裏には、かつて見た青々と茂る植木があった。植木には花がつかないことがほとんどだったが、一度だけ真っ赤な花を咲かせたことがある。宝石のような姿に心を捕らわれたエニーは、暇さえあればずっと花を見ていた。
もしも、あんな花がもう一度見れるなら。
相変わらず、モニターは表示を繰り返している。やはり、罠かもしれない。だが、ここには希望もあるかもしれない。
簡単に開きそうならば、入ってみるしかあるまい。虎穴に入らずんば虎児を得ず、という古い諺を、昔に習ったことをなんとなく思い出した。もしも人類がいるのであれば、古い諺を知っている者もいるだろう。
希望は微かだが、手にしてみるまで正体はわからないものだ。
エニーは、端末を操作して扉を開く。二重扉になっていて、一段階目の扉をくぐるとすぐ、真後ろの扉が閉まった。
ナイフがどこにあるのか、光線銃のエネルギーは十分か、様々な攻撃手段を頭に思い浮かべながら、次の扉へ近づく。
二段階めの扉は自動で開いた。何かが来るのを心待ちにしていたとでも言うように。エニーは警戒心を強めながら、扉をくぐった。
建物の中は、驚きに満ちていた。
まず、緑の植物がいっぱいに茂っている。それも、手を加えられて、整えられながら育っている。また、あちこちに花々の姿も見える。
久しぶりに植物を見た。いや、こんな風に育ててある植物群は初めて見た。まるで、過去に読み込んだ資料に書かれていた『庭園』という文化に基づいて整えられているようだ。
エニーは目前の景色に、呆気にとられてしまう。どうして、こんな風に植物が植えてあるのか、何の目的があってこの建物が造られたのか。見当もつかない。
警戒を忘れ、ゴーグルとマスクを外す。体格に見合わぬ幼い顔つきが顕になった。透明度が上がったエニーの視界に、青々と植物の色が刺さる。
エニーは、この庭園に次々と違和感を覚えていく。何がいるかわからないが、やたらと同じ昆虫が飛んでいる。蝶、などと呼ばれていたはずだ。それだけではない。エニーの中にある情報の『四季』というものがばらばらになった状態で、この庭園は構成されている。
「どうしてこんな」
最初こそ困惑をしたエニーだったが、徐々に慣れ、植物庭園を散策し始めてしまった。あちこちに生命の息吹を感じ取れる。昆虫や、小動物が生活しているのが見えたのだ。エニーに近づくことこそなかったけれど、確実に動植物はこの庭園に息づいている。
何故、この庭園は造られたのだろうか。警戒しなければならない。だが、心地よさに感情が奪われる。ああ、ここにこそ人類の希望があるかもしれない。
「お待ちしておりました」
希望を微かに抱いたエニーの意識の向こう、植物庭園の奥から、女性の声がした。
警戒を解いて、人類の希望を見いだそうとしていたエニーにとって、その声は警戒と希望の入り交じった複雑な感情を掻き立てた。
「!?」
光線銃を抜いて、前方に向ける。エニーの相貌が険しくなる。人間の声に擬態する惑星外生命体など、この目で何体も見てきた。そういったものでないと判断できない限り、警戒をする他ない。
そもそも、このドームが怪しいものなのだ。中で何が起こるかわかったものではない。だからこそ、警戒したまま、辺りを見渡した。
不意に、何かが木陰で輝くのが見えた。構えを解かぬまま、奥へと進む。
「お待ちしておりました。ようこそ、おいでくださいました」
そこには、金糸の髪と翠玉の瞳を持ったものがいた。ひとの形をしていて女性的な体つきをしている。声も、女のものだ。澄んでいて、こちらもまた綺麗な声である。だが、何か違和感を拭えない。
女性は、言葉を紡ぐ。
「落ち着いてください。私は、貴方の味方です」
「…………、」
麗しい声が、静かに響く。どの民族をルーツに持つのかわからないが、エニーに対してきちんと通じる言語で、かつ、滑らかな発音だ。共通言語があるというのは、幸運だ。少しも話が通じるかもしれない。
これは、希望足りえるものだろうか。自分のことを攻撃する意図はないようだ。エニーは自分を納得させようと、光線銃の照準を女性から外した。
「味方だって?」
「はい。貴方の味方です。私の名はフィネル。貴方の希望にはなり得ませんが、お世話をすることくらいはできます」
「希望に――なり得ない?」
ひやり、と。背筋に冷たいものが走った。希望にならないということは、この場所にも人類はおらず、まして、人類復活の手がかりすらないと、そう目の前のものは言ったのだ。

